お風呂の歴史と聞いて、何を思い浮かべますか?
五右衛門風呂!とか、水戸黄門の由美かおる入浴シーンとか、はたまたテルマエ・ロマエ?と浮かんだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
風呂好き文化はどの国よりも、日本が最強のようです。
アメリカなんかのイメージはもっぱらシャワーですよね?!
昨今では、やれバスソルト、やれお風呂に入りながら○○出来るグッズ的なものも流行し、健康や美容においても欠かせないのが入浴ですよね。
かつて中国から仏教とともに伝わった風呂ですが、お風呂に入ることは「七難を除き、七福が得られる」とされ、寺院では「浴堂」という蒸し風呂が「体を洗い浄める」大切な業として取り入れられていたほどです。
みなさん、小さい頃に「早くお風呂に入りなさい!!!」と家族に凄い勢いでまくし立てられたことはありませんか?(笑)
我が家では特に祖父母からの圧力が凄かったのですが、やはり昔の人は仏教の言い伝えを信じて後世に伝えようとしてくれていたのですね。
ただし、風邪をひいたり、熱が出たときは決して入ってはいけないと教えられました。
日本最古の浴槽 東大寺・大湯屋
現存する最古の浴槽は、奈良の東大寺につくられた『大湯屋(おおゆや)』。
奈良時代から平安時代にかけて、東大寺には約1万人もの僧侶が在籍していたそうで、主に大事な法要の前に僧侶たちが「身体の垢」を落として「身を洗い清める場所」であったといわれているのです。
入り方は、湯船に身体ごとどっぷり浸かるような現代のスタイルではなく、別の釜で温めた湯を湯船に入れて、湯の熱を利用して「垢」を落としたとされています。その湯船の周りにスノコを設置して「沐浴(もくよく)」のような感じで身体に湯をかけていたものだと考えられています。
現代のような浴槽にお湯を張って入るお風呂スタイルになるまで、様々なスタイルを経てきています。
古くから桶に水を入れて洗う行水スタイルがあり、それに蒸し風呂が融合してできたのが湯屋。
江戸時代からは一般化され、戸棚風呂という下半身のみを浴槽に浸からせるスタイルが普及したのだとか。
- お風呂
釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、熱い水蒸気により身体の垢を浮き上がらせて、適当な時間に室外に出て笹の葉などで、身体を叩いたりなでたりして垢を落とし、近くに用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗うスタイル。
- 湯
今日の一般の家風呂や銭湯と同じようなスタイル。
- 五右衛門風呂
カマドを築いて釜をのせ、その上に桶を取り付け、底板を浮き蓋とし、その板を踏み沈めて入浴する。
五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑にしたという俗説から生まれたのだそうです。
- 長州風呂
五右衛門風呂は底が鉄製だが、長州風呂は全体が鉄製。現在では長州風呂も五右衛門風呂として一般的に呼ばれています。
江戸時代まではこのような呼び名、スタイルで徐々に現代のお風呂スタイルに近づいていったのです。
銭湯はオシャレ江戸っ子の社交場!
純粋な公衆浴場「銭湯」が登場したのは江戸時代だと言われています。
その頃は混浴で男湯・女湯の区別はなかったそうです。
銭湯は流行に敏感な江戸っ子達の社交場でもあったようで、様々な銭湯文化が生まれ、日本では入浴という習慣が庶民の間で根づき、世界に類を見ない「風呂好き国民」になったというわけですね。
こうなると、世界のお風呂事情も気になるところですね!
他の国では日本と全く別の捉え方をされていた部分もあるのだとか?!
それはまた続編で?!お楽しみに。